Fukusuke Coffee

日本のコーヒー文化|喫茶店から始まる独自の道

コーヒーを楽しみ始めると、 こんなことも知っているといいことがあるかもしれません。

「日本のコーヒー文化って、どんな歴史があるんだろう」
「喫茶店の雰囲気って、なぜか落ち着くな」
「そもそも日本にコーヒーが伝わったのはいつ頃だろう」

実は、日本のコーヒー文化には とても興味深い歴史が隠れているんです。

西洋から伝わったはずのコーヒーが、日本では独自の進化を遂げました。

そして今、その文化が世界から注目されています。

今回は、日本のコーヒー文化がどのように生まれ、育ってきたのかをゆっくりご案内します。

知れば知るほど、いつもの一杯がもっと愛おしくなるかもしれません。


コーヒーとの出会い|江戸時代の長崎から

日本にコーヒーが伝わったのは、江戸時代のことでした。

17世紀末から18世紀にかけて、オランダ人が長崎の出島に持ち込んだのが始まりです。

ただ、当時コーヒーに触れることができたのは 出島に出入りしていた通訳や一部の役人だけ。

一般の人々には、まだまだ縁遠い存在でした。

1804年には、狂歌師の大田南畝が 「焦げくさくして味ふるに堪へず」と記録を残しています。

お茶の文化が根付いていた日本人にとって、コーヒーの香りと味わいは 最初はなかなか受け入れがたいものだったようです。

そう考えると、今私たちがコーヒーを楽しめているのは、とても不思議なことかもしれません。


明治の夜明け|日本初の喫茶店「可否茶館」

コーヒーが日本で広まり始めたのは、明治時代に入ってからのことです。

1858年、日米修好通商条約をきっかけにコーヒー豆の正式な輸入が始まりました。

そして1888年、東京の上野に日本初の本格的な喫茶店が誕生します。

その名は「可否茶館」。

鄭永慶という人物が開いたお店でした。

この可否茶館、実はとてもユニークな空間だったんです。

コーヒーを飲むだけでなく、ビリヤードを楽しめる部屋があったり、新聞や書籍を読める図書室があったり。

なんとシャワー室まで完備されていたそうです。

まさに、知識人が集う文化サロンのような場所でした。

当時のコーヒー1杯の値段は1銭5厘。

お蕎麦が8厘から1銭程度の時代ですから、かなり高価な飲み物だったことがわかります。

残念ながら可否茶館は4年ほどで閉店し、鄭永慶は破産してアメリカへ渡ってしまいました。

それでも、この挑戦が 日本の喫茶店文化の礎を築いたことは 間違いありません。


文化人が集う場所へ|銀座のカフェ文化

日本初のカフェとも言われる「カフェー・プランタン」

明治から大正にかけて、コーヒー文化は少しずつ広がっていきました。

1911年には、銀座に次々とカフェがオープンします。

「カフェー・プランタン」
「カフェー・パウリスタ」
「カフェー・ライオン」

どれも文化人や芸術家たちの社交場として賑わいました。

文豪の森鷗外らが「パンの会」という芸術家の集まりを開いていたのも、この頃です。

コーヒーを片手に、文学や芸術について語り合う。

そんな知的なひとときが、カフェという場所で生まれていたんですね。

大正時代になると、「冷やしコーヒー」が喫茶店のメニューに登場。 関西では「レイコー」と呼ばれて親しまれました。

コーヒーは徐々に、一般の人々の暮らしにも溶け込み始めていったのです。


戦争による中断、そして復活

昭和に入ると、コーヒー文化は大きな試練を迎えます。

1935年頃には一般家庭でも飲まれるようになり、1937年にはコーヒー豆の輸入量が過去最高を記録しました。

ところが、1938年の国家総動員法により 状況は一変します。

1942年には輸入が規制され、 1944年には完全に停止。

代用コーヒーと呼ばれる大豆やタンポポの根で作った飲み物がコーヒーの代わりに飲まれるようになりました。

「本物のコーヒーが飲みたい」

そんな想いを抱えながら、人々は戦時中を過ごしていたのかもしれません。

戦後の1950年、ようやくコーヒーの輸入が再開。

1956年頃からはインスタントコーヒーが出回り始め、1961年には輸入が自由化されました。

ここで少し興味深い話をひとつ。

実は、インスタントコーヒーを発明したのは日本人だったことをご存知でしょうか。

1899年、加藤サトリ博士という方が真空乾燥法によるインスタントコーヒーを開発。

アメリカで商品化されましたが、当時の日本では販売ルートがなかったそうです。

日本人が発明したものが、アメリカで広まり、やがて日本に「逆輸入」されたというわけです。

こんなところにも、日本とコーヒーの不思議な縁を感じますね。

そして、1961年の輸入自由化を機に、日本は第一次コーヒーブームを迎えます。


喫茶店の黄金時代|名曲喫茶の誕生

1960年代から70年代にかけて、日本の喫茶店文化は独自の発展を遂げました。

この時期に生まれたのが「名曲喫茶(音楽喫茶)」です。

名曲喫茶では、クラシック音楽のレコードを聴きながら静かにコーヒーを楽しむことができました。

ジャズ喫茶では、大音量でジャズが流れる中、音楽に身を委ねる時間が過ごせました。

シャンソン喫茶、ロック喫茶など、それぞれの音楽ジャンルに特化したお店が次々と誕生していったのです。

1970年代には名古屋で漫画喫茶が誕生。

コーヒーを飲みながら漫画を読むという、今では当たり前のスタイルが生まれました。

1981年には、喫茶店の数が全国で15万4,630店に。

これが日本の喫茶店数のピークとなりました。

喫茶店は単にコーヒーを飲む場所ではなく、音楽を聴いたり、本を読んだり、自分だけの時間を過ごせる特別な空間だったのです。


日本独自のコーヒー文化|世界に先駆けた発明

日本のコーヒー文化には、世界に先駆けた独自の発明がいくつもあります。

ここでは、特に注目したい3つをご紹介しますね。

缶コーヒー

今では世界中で見かける缶コーヒー。

実は、日本で生まれた発明なんです。

1965年、島根県浜田市で三浦義武という方が世界初の缶コーヒーを開発しました。

商品名は「ミラ・コーヒー」

当時の課題は、コーヒーを缶に入れると缶が腐食してしまうことでした。

三浦さんは地元の缶詰工場と協力して特殊なスチール缶を開発。

2年置いても品質が変わらない製品を作り上げました。

1969年には、UCC上島珈琲が 世界初のミルク入り缶コーヒーを発売。

大阪万博と自動販売機の普及も追い風となり、缶コーヒーは一気に広まっていきました。

欧米で缶コーヒーが普及したのは2000年代以降。

日本は40年以上も先を行っていたんですね。

アイスコーヒー

暑い季節に欠かせないアイスコーヒー。

これも日本が独自に発展させた文化です。

日本でアイスコーヒーの記録が残っているのは、1891年(明治24年)のこと。

東京神田の氷屋で「氷コーヒー」として メニューに載っていたそうです。

日本式アイスコーヒーの特徴は、瓶に詰めたコーヒーを井戸水や氷で冷やす方法。

氷を直接入れて薄めるのではなく、濃いまま冷やすスタイルが生まれました。

大正時代には喫茶店の定番メニューとなり、日本の「冷やす文化」と結びつきながら発展。

興味深いことに、欧米でアイスコーヒーが 一般的になったのは1990年代以降。

スターバックスの影響が大きかったといわれています。

日本人が当たり前のように飲んでいたアイスコーヒーは、実はとても先進的な存在だったのです。

ネルドリップ

布製のフィルターを使う「ネルドリップ」。

この抽出方法を確立したのも、日本のコーヒー職人たちでした。

ネルドリップは、コーヒーオイルを通しながらまろやかな口当たりを引き出す抽出法。

深煎りコーヒーとの相性が良く、純喫茶の定番として愛されてきました。

手間がかかり、技術も必要なため、「究極の抽出方法」とも呼ばれています。

缶コーヒーの発明者である三浦義武さんは、ネルドリップの基本的な使用法も確立した方。

100年続くコーヒー抽出の概論を生み出しました。

今でも「全日本ネルドリップコーヒー協会」などでこの技術は大切に継承されています。


純喫茶の魅力|なぜ日本独自の空間が生まれたのか

「純喫茶」という言葉を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

この「純」には、実は深い意味があります。

大正から昭和初期にかけて、「カフェー」と呼ばれるお店が流行しました。

女給(じょきゅう)と呼ばれる女性が接客し、お酒を提供するお店です。

それに対して「純粋に喫茶だけを楽しむお店」として 生まれたのが「純喫茶」でした。

アルコールを提供せず、コーヒーや紅茶、軽食だけを扱う。

そんなお店を指す言葉だったのです。

この純喫茶には、日本独自の特徴がいくつもあります。

まず、席まで運ぶフルサービスのスタイル。

セルフサービスが主流の海外とは異なり、日本では注文を受けてから席まで届けるのが基本でした。

そして、落ち着いた空間づくり。

外から中が見えにくい設計になっていたり、照明が少し暗めだったり。

「一人になれる場所」として発展してきた側面があるのです。

なぜ、日本でこのような空間が生まれたのでしょうか。

ひとつには、日本人の「内と外」を分ける意識が関係しているかもしれません。

家でも職場でもない「第三の場所」。

外の喧騒から切り離された、 静かで落ち着ける空間。

茶室が「非日常」の空間として 大切にされてきたように、喫茶店もまた、日常から少し離れた場所として 愛されてきたのかもしれません。

お店の数だけ個性がある—— それも純喫茶の魅力です。

マスターのこだわりが詰まった焙煎、年月を経た調度品、独特の雰囲気。

チェーン店とは違う、オンリーワンの空間がそこにあります。

日本の茶道が「もてなし」の文化を育んだように、喫茶店もまた、細やかな気配りとサービスを大切にしてきました。

静かに過ごしたいお客様には静かな空間を。

話したいお客様には程よい距離感を。

そんな「寄り添う姿勢」が、純喫茶文化を支えてきたのかもしれません。


サードウェーブと日本|逆輸入された喫茶店文化

コーヒーの歴史を語るとき、「波(ウェーブ)」という言葉がよく使われます。

少しだけ説明させてくださいね。

第一の波(ファーストウェーブ)は、19世紀から20世紀前半にかけての時代。

コーヒーが大量生産・大量消費されるようになり、インスタントコーヒーや缶コーヒーが生まれました。

コーヒーが「日常の飲み物」になった時代です。

第二の波(セカンドウェーブ)は、1970年代から始まりました。

スターバックスに代表されるような 「カフェ文化」の広がりです。 エスプレッソやラテが人気となり、「カフェでくつろぐ」というライフスタイルが 定着していきました。

そして第三の波(サードウェーブ)。

2000年代にアメリカで生まれた コーヒーの新しい潮流です。

サードウェーブの特徴は、豆の産地やトレーサビリティを重視すること、一杯ずつ丁寧にハンドドリップで淹れること、浅煎りでコーヒー本来の風味を引き出すこと。

その代表格が、ブルーボトルコーヒーです。

2015年、清澄白河に海外初となる店舗をオープン。

日本のコーヒーファンの間で大きな話題となりました。

でも、ここで興味深い事実があります。

ブルーボトルコーヒーの創業者、ジェームス・フリーマンさんは 「日本のコーヒー文化に大きな影響を受けた」 と語っているのです。

日本製のドリッパーやケトルを使い、「京都/Oji」という名前のアイスコーヒーをメニュー化。

一杯ずつ丁寧に淹れるスタイルは、まさに日本の純喫茶が長年続けてきたこと。

「サードウェーブの人たちは、彼らがすべてを開発したと思いがちだが、そうではない」

フリーマンさん自身がそう語っています。

実は、日本では1970年代からコーヒー専門店のブームが起きていました。

産地にこだわり、一杯ずつ丁寧に淹れる——。

サードウェーブ的な考え方は、日本の純喫茶がずっと前から実践していたのです。

世界が今注目しているコーヒー文化の中に、日本の喫茶店の精神が息づいている。

そう思うと、日本のコーヒー文化に誇らしさを感じませんか。


現代の喫茶店文化|変わりゆくもの、変わらないもの

1981年に15万店を超えた喫茶店は、2014年には約7万店まで減少しました。

1996年にはスターバックスが日本に上陸。

2006年にはドトールの売上を超え、 セルフ式カフェが主流になっていきました。

でも、純喫茶が完全になくなったわけではありません。

むしろ近年は、純喫茶の良さが見直されているようにも感じます。

セルフカフェの手軽さと、フルサービス喫茶店の居心地の良さ。

それぞれの良さを使い分ける人が増えています。

そして今、日本の喫茶店文化は海外からも注目されています。

アジア、ヨーロッパ、アメリカなどなど。

各地で「日本式の喫茶店」への関心が高まり、日本のコーヒー器具や抽出方法が取り入れられています。

かつて西洋から伝わったコーヒーが、日本で独自の進化を遂げ、今度は世界へと広がっていく。

その流れの中に私たちがいると思うと、毎日の一杯にも、少し違った味わいを感じるかもしれません。


一杯のコーヒーに込められた歴史

江戸時代の長崎から始まった日本のコーヒー文化は、150年以上の時を経て、世界に誇れる独自の文化となりました。

「焦げくさくして味ふるに堪へず」

そう言われていたコーヒーが、今では私たちの暮らしに欠かせない存在になっています。

可否茶館で夢を描いた鄭永慶。

缶コーヒーを発明した三浦義武。

音楽喫茶で静かにコーヒーを淹れ続けたマスターたち。

たくさんの人の想いが重なって、今、私たちは美味しい一杯を楽しめています。

FUKUSUKE COFFEEも、そんな日本のコーヒー文化の中で 歩ませていただいています。

私たちの地元・愛知県安城市は、名古屋を中心とした喫茶文化が特に根付いている地域です。

愛知県は、人口あたりの喫茶店数が 全国トップクラス。

昔から「モーニングサービス」の文化が 盛んな土地柄なんです。

コーヒー1杯の値段で、トーストやゆで卵がついてくる。

FUKUSUKEの代表三浦も大好きな喫茶豆蔵さんではこんなモーニングが!

「お客様に喜んでほしい」
「少しでもお得感を」

そんな想いから生まれた 愛知ならではの文化です。

朝の喫茶店で、モーニングを食べながらくつろぐひととき。

ご近所さんと顔を合わせ、何気ない会話を楽しむ時間。

そんな風景が、今もこの地域には残っています。

一杯のコーヒーが生み出す、ほっと一息つける時間。

大切な人との語らいのひととき。

そんな日本のコーヒー文化を、これからも大切に受け継いでいきたい。

そう願いながら、今日も一杯ずつ、丁寧にコーヒーをお淹れしています。

日本のコーヒー文化を知ることで、いつもの一杯がもっと愛おしく感じられたら。

そんな想いを込めて、この読みものをお届けしました。

もしお近くに純喫茶があれば、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

マスターが淹れる一杯には、この記事でお伝えした歴史が静かに息づいているかもしれません。

おうちでコーヒーを淹れるときも、「これは日本の文化なんだな」と思い出していただけたら嬉しいです。


あなたのことも、教えてください

FUKUSUKE COFFEEの読み物は、私たちが一方的に「伝える」ためのものではなく、みなさんと一緒につくっていきたいと考えています。

・このコーヒー、どう選べばいい?
・プレゼントで失敗しないコツを知りたい
・浅煎りって、正直よくわからない
・こんな話、読んでみたい
・最近こんなことで悩んでいます
などなど、どんな小さなことでも大丈夫です。

ふと感じた疑問や、知りたいこと、悩んでいることを、そっと教えてください。

いただいたお声は、次の読みものや商品づくりのヒントとして、ひとつひとつ、大切に活かしていきます。


FUKUSUKE COFFEE ROASTERY 愛知県安城市から”福を届ける”コーヒーロースタリー

TOP

“福”を届けるコーヒーロースタリー